Trip Report ②「三毛別羆事件復元地」〜人と熊との付き合いの歴史〜

こんにちは!

皆さんは、熊による歴史上最大の獣害事件である「三毛別羆事件」をご存知ですか?

今回は「三毛別羆事件」の現場付近に、当時の開拓小屋やヒグマのレプリカが置かれた「復元地」に行って参りました。

本当に熊が出そうな場所で、物々しい雰囲気を感じました。

熊による獣害が気になる方は、是非見に行ってみて下さい。


三毛別羆事件とは(簡単に)

1915年(大正4年)12月に北海道北西部の苫前村で起こった、羆による日本史上最悪の獣害と言われています。

当時、開拓民の掘っ立て小屋に一頭のヒグマが侵入し、女性と子供の2名が殺害され、女性の遺体をヒグマに持っていかれてしまいます。

翌日、村の男たちが裏山でクマに埋められた女性の遺体を発見、小屋に持ち帰り、通夜を行います。

しかし、これが悲劇の始まりでした。

その日の夜、同じヒグマが小屋の壁を破って侵入し、2人の遺体が収納された棺桶がひっくり返されます。

その後、不幸にも多くの人が避難していた避難所にもヒグマが侵入し約50分間にもわたり人々を襲い続け、避難所は地獄絵図と化してしまったのです。

これにより、妊婦とお腹の子供、避難していた子供達が命を落とし、その他3名が重傷を負いました。

結果、7名が犠牲となり、そのすべてはクマによる食害に遭っていたとされています。

このヒグマの大きさは【体長2.7m・体重380kg】の金毛を交えた黒褐色のオスで、袈裟がけの7、8歳と言われています。

 

三毛別羆事件復元地はどんなところ?

ヒグマによる獣害事件のような開拓悲話を通して、不屈の開拓精神と先人の偉業を後世に伝えるために、三渓地区住民の強い熱意で復元されました。

当時、事件が起こった場所のすぐ近くに復元されており、物々しい雰囲気を纏っています。

実際に熊の発見情報もある場所なので、注意して見学してください!

 三毛別羆事件復元地へのアクセス

所在地:苫前町字山渓

開場期間:5月上旬〜10月末まで

料金:無料

※ 基本的には開設時間はありません。しかし、夜間の見学は危険ですのでご遠慮下さい。

熊害慰霊碑

復元地に向かう途中に三渓神社があり、その境内には「熊害慰霊碑」が建てられています。

これは当時、少年だった地元の大川春義氏が昭和52年(1977年)7月に建立したものです。

被害者の霊を弔うために「100頭の熊撃ち」を始めた大川氏が、40数年がかりで悲願を達成します。

その後、三渓部落会の協賛を得て、犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑を建立しました。

 

 

メディア

三毛別羆事件は多くの作家が小説にし、映画や漫画、舞台の題材として取り上げられています。

中でも小説の「慟哭の谷」という木村盛武氏の作品は、ほぼ脚色なしの事実に基づいている小説でおすすめです。

 

苫前町郷土資料館

苫前町の郷土資料館には、苫前町の歴史や熊事件についての展示(展示資料約700点・収蔵資料約4000点)があります。

館内には巨熊の北海太郎渓谷の次郎の剥製が展示されていて、とても迫力がありますよ!

また、館内には洋風建築のモダンな雰囲気がある町長室があり、そこでは三毛別羆事件を題材にしたテレビ映画「羆嵐」が上映されています。

 

Trip Report ②「三毛別羆事件復元地」:まとめ

いかがでしたでしょうか。

近年、熊の市街地出没が頻繁になっており、個体数増加に伴い「穴持たず(冬眠しない熊」が増えてきているのが現状です。

三毛別羆事件の熊は「穴持たず」であった個体とされ、熊の性質を当時の人は理解していなかった故の被害の大きさでした。

また「三毛別羆事件」以外にも「ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」も熊の性質を世に知らしめた悲惨な事件でしたので、気になる方は調べてみて下さい!



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